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2012/03/11/ (日) 日常的に気がついたこと

あの日あの時自分は

その時間の前と後

日常が変わった瞬間といえます

あの大震災から1年

当日、自分は出先で地震を体験しました

お店の中で地震がおき

カミさんと合流して店の外へ

目の前で信号が消えていきました

その時の震度は確か6弱

揺れが長く断続的だったのですが

少ししておさまったと判断して車へ

信号のない道を通り自宅へ

自宅の家の中も大変な状況

落下物もあり靴なしではガラスで足を切るので靴のまま家の中へ

何もできない自分はテラスで厚着をして家の中が歩けるようになるまで待ちました

その後

家の中でそれぞれ自室はあるのですが

家族全員リビングで過ごし始めました

4日くらい電気もとまってました、ガスはプロパンで使えましたが

ガスだけでは何もできない感じ(煮炊きくらい)

プロパンガスがすぐ使えることを知らず

しばらく煮炊きは石油ストーブでしてましたけど

地震の揺れでTVは1台(買って5カ月くらい)

電子レンジも落ちて正面のガラスが粉々に

電気も止まったため

情報源はラジオのみ

津波の状況など知りませんでした

幸いとっていた地方紙は伝えなければならない情報があるということで

休むことなく毎日きました

電気が復活してTVが見れるまで

震災の状況のビジュアル部分は新聞のみがたよりとなりました

その後

電気が復活しましたが

約1か月水道は復旧しませんでした

自分の住む自治体には水源がなく

他から買っていたため復旧が遅かったのです

水が止まっているのですが

降った雪が解けた水を集めて

トイレは何とか使えました

個人的には

薬替わりとしている運動がストップしました

お風呂に入れないため

汗をかく運動はご法度となりました

家での影響は年末まで

地震の揺れで塀が傾きました

町から危険個所という指定もされましたが

諸事情で年末まで伸びて

現在は修繕は終わっています

現在は震災前の生活に戻っていますが

そうできない人も同じ県内にも多数いらっしゃる

そういう状況の中

有事に対応できない政府が露見した年でもありました

今までにないことが起きたことで

知らないできたものが日の目を見るようになってきた年でもあります

失ったものは大きく

戻すこともかないませんが

なくしたものを嘆いて暮らすのも人の生き方

それをまた作ろうとするのも人の生き方

それぞれの人が違う立場で

自分の思うベストを尽くしていければ

復旧でなく復興を

目指すものができた時

人間は強さを発揮できるでしょうね

震災はいろいろなものを奪っていきました

それは悲しい現実ですが

悲しい現実を受け入れて

先へ進む強さはきっとあるはず

未来を作り上げるのは

今です

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脊髄小脳変性症診断年齢 36歳
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ブログ開設日2008/3/13

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