脊髄小脳変性症と付き合うブログ > 環境・経緯

2008/05/04/ (日) 環境・経緯

父が私に残したもの

たかのめです

父から遺伝したであろう脊髄小脳変性症

でも父は私にそれ以外のものもたくさん残してくれました

その一つがコンピューターのスキルでしょう

同年代でもパソコンが嫌いな方もいらっしゃる中

たかのめは中学生ころからPCを与えられ、高校のときには学校内でもコンピューターについては上位クラスでした

字が下手というのは脊髄小脳変性症の前からあるものですが

そのことが後押しとなりパソコンを本気でツールとして使うことになったわけです

年賀状にインクジェット紙が出る何年も前から

パソコンを使って年賀状は作っていましたし

商業系の高校を出たこともあり自分のPCをもってからずっと小遣い帳(現在は確定申告のための収入支出管理表)をつけています

パソコンを自分の手のように使うようになってから思ったことをそのまま打つことが可能になりました

書くよりはずっと早くしゃべるよりは遅いですがタイピングすることが可能となりました

そのスキルを得たのは父がきっかけを作ってくれていたおかげです

脊髄小脳変性症という病気とともに私に残したもの

それを使って人生を生きていけというメッセージにも思えます

普通に考えれば暗くなります

当然でしょう

だって体がだんだん不自由になっていくのを普通の頭で認識し続けていくのですから

でも

肉体的にできなくなることが増えていっても

精神的には病気にならないで生きたい

このブログもそんな思いの中つづられています

通常はブログは日記

日記ですから一日に1記事が普通

そのネタに困っている方も多いでしょう

でもたかのめの場合

記事が長くなりやすく、多くなりがちです

理由は自分の頭の中の整理の一環としてもブログが機能しているということです

文才があるかどうかは自分では判断できかねますが

しゃべりたがりなのかもしれません

それにプラスして

外部との接触がほとんどない仕事のため

ブログでコメントが入ることやメールをいただくことがとてもうれしいのです

そういった理由も絡んでつい記事が増えていくのでした

2008/04/15/ (火) 環境・経緯

調べている保障

たかのめです

以下の情報は自分が調べているものですので正確性はご自身でご判断いただきますようお願いいたします

脊髄小脳変性症はぞくに難病と言われます

お役所の言葉を使えば特定疾患というらしいです

そしてその特定疾患は現在123あるそうです

その123の中で医療費を研究を目的として公費負担しているものが45あるそうです

脊髄小脳変性症はその45の中に該当してくるもの

調べているものの一つ目はその公費負担についてです

実際はすでに申請して結果待ちの状態です

どのようなものかと言えば

管轄は保健所になります

申請にはドクターの診断書が必要です

それらを合わせて申請

認可されれば受給者証をいただけるそうです

そうなったときに申請している医療機関での脊髄小脳変性症に関連しての医療行為について助成金が出るわけです

さて二つ目

これは現在、しかかり中のもの

障害者手帳です

管轄は役所や役場となるようです

こちらも申請にはドクターの診断書が必要です

そしてこちらは等級があり1から6級まであるようです

下位の6から級が上がるほど障害が重くなるとお考えください

こちらでの補償のメリットは確定申告の障害者控除の利用や障害者に対する社会的保障全般を利用することが可能になるものがあるようです

脊髄小脳変性症は進行性のため最初に取った級から上がることが単純に予想されます

さて3つ目

これは今まさに大騒ぎしているもの、年金にかかわるものです

障害年金というものです

受給に際しては初めて診断されてから1年半の期間が必要となっていました

またこの障害年金を受給した場合、通常のかけている年金(月に払うもの)が免除となるようです

たかのめが現在調べているのはこのくらいです

すでに利用されている方もいらっしゃるでしょう

たかのめはまだ具体的には一つも利用していない状況です

環境整備をしたいのはこの部分

脊髄小脳変性症と付き合いながら生きていくための保障として考えております

2008/04/15/ (火) 環境・経緯

脊髄小脳変性症と付き合う環境

たかのめです

「1リットルの涙」の中でヒロインも言っていましたが

通勤もなく座ってできる仕事なら脊髄小脳変性症の人間でもできる

そういってました

DVDを見る前から自分は普通の仕事はできないと感じていました

正確にはできなくなるということ

それまではできましたので最後の仕事は大手メーカーで派遣社員を7年ほどしていました

それを退職したあと

経済的基盤を確立するために懸命に努力したところ

通勤もなく座ってできる現在の仕事を確立しました

でも雇用されているわけではありませんので

保障はありません

だからいろいろな利用できる社会的な保障を整備しているところです

ドクターからの診断を得たのもその一環

認めたくないのが現実ですが

治らないという前提に立ち、なおかつそれが原因で早死にしないということであれば

どう付き合っていくかを考えなければなりません

経済的なものも時間的なものも整備していかねばなりません

脊髄小脳変性症を持っているたかのめですが世帯主でもあるので責任があるわけです

カミさんは私と付き合ってくれると言ってくれました

それは言いかえれば脊髄小脳変性症の私と一緒に生きてくれるということ

つまり脊髄小脳変性症の保障を整備しても経済的基盤がないと維持できません

世界の中で私を選んでくれたカミさんへの感謝

そしてそれに報いることは行動で示すしかありません

できなくなることは多くても

できることを探して少しでもカミさんと長く一緒に生きていくこと

環境整備はそういう意味でも重要です

私と同じように脊髄小脳変性症を患っている方はもちろん多いでしょう

その方たちも多かれ少なかれさまざまな保障を必要として利用していることでしょう

たかのめも自分で調べながらそれを整備していく必要を日々感じています

2008/03/29/ (土) 環境・経緯

バランス

脊髄小脳変性症は体のバランス感覚が失われていく側面があります

ここでいうバランスは五感のバランスについてです

たかのめは病気のために肉体的にバランスが悪い分、働いていると思えるものがあります

それは頭

よく聞くのはたとえば目が不自由な方は耳がとても敏感とかその逆もいわれたりします

自分の場合に当てはめると

体が自由に動くようであれば今の環境を作ることはかなわなかったといえます

体が不自由だったからその分、頭と手を使って環境を整備できたのだと思います

使えるものを磨いていくことは病気を持っていても可能のような気がします

勉強は好きではないですけど

知識が増えたりアイディアを生むのは好きです

脊髄小脳変性症であっても大脳は影響を受けないので頭は鍛え続けられるという自由があるわけです

体が不自由な分、頭でバランスをとる

そんなイメージが最近つよいたかのめです

2008/03/17/ (月) 環境・経緯

遺伝した脊髄小脳変性症

脊髄小脳変性症は遺伝した方が約4割ほどいるそうです

たかのめはそのひとりということになるでしょう

父はたぶん贈りたくなかったであろう脊髄小脳変性症

でも父はそれだけではなく私にほかにもいろいろ与えてくれたわけです

ある本で読んだことのある内容

それは魂がそのからとなる肉体を選んでこの世に生をうけるということ

その考え方にのっとっていくと自分はこの体を選んで生まれてきたということです

体を恨むこともできます、なぜ自分だけと不幸の種を考えることはいくらでもできます

でもそれではせっかくの人生が恨みつらみの人生になってしまいます

たかのめは脊髄小脳変性症を持ったこの体を選んで生まれてきました(たぶん)

だから死ぬまで生きようと思っています

自分から死んだりせず

生まれてきたことに感謝できる生き方をしていくこと

父だって遺伝させたくてさせたんじゃないでしょう

でも現実としてあること

それを受け入れること

受け入れて付き合っていくこと

脊髄小脳変性症はそんな病気かもしれません

2008/03/13/ (木) 環境・経緯

病気と付き合うためにした環境整備

脊髄小脳変性症という病気は体の運動神経が薄れていくような病気です

自分も普通の仕事をしていたことがあります

アルバイトはもちろん正社員でいたこともあります

最後は派遣社員で大手会社に勤務していました

でも体がだんだんつらくなってきたことと会社の状況が思わしくなくなってきたときにタイミングをみて退職しました(派遣社員なので退職金はありませんでした)

派遣会社にいるときに幸いにも結婚することができ現在ももちろん夫婦で生活しております

会社を辞めたときに考えました

これからどうしようかと

多少の蓄えはありましたが毎月の生活費に充てていけばそんなに長く持つものでもありません

自分ができることを考え思いついて現在までそれを維持しているのがパソコンを使っての経済的自立です

夫婦ですから当然1世帯です(昨年猫を2匹かいました)

でも経済的に独立していなければ夫婦を続けることは困難だと思いました

そこから自分なりの努力が始まりました

パソコンで収入を上げるまで

実に1年半の月日を要しました

その間に失業保険をもらったりしてなんとか生活を維持していました

その1年半の1年目を過ぎたころに妻に言った言葉があります

「半年ほど実家に帰ってもらえないか?」と

理由はひとりでがむしゃらに頑張って半年という期限を切って背水の陣で結果を呼び込もうとしたためです

「あと半年で結果が出せなければ俺はお前を養える男ではなかったと判断してほしい」といいました

それに妻が言った言葉

私は今でもありがたく思っています

「私は帰らない、結果が出るまでがんばって」と

そして半年がたったころ

結果が出始めました

そして現在は生活できるレベルを維持している状況です

そしてその環境では経済的独立とともにもう一つ大きなメリットがあります

それは時間が自由になるという環境です

たかのめは脊髄小脳変性症のほかに大腸に憩室があったり呼吸器系が弱かったりと体は丈夫ではありません

そのため体から何かシグナルがあればすぐに病院へ行けるような環境がほしかったのです

現在はそれを得て維持しています

その環境を利用して行っているリハビリは週に2~3回通っているフィットネスクラブなど通常のサラリーマンであればなかなか行きづらいものですが現在の環境では可能です

1年半という短くはない期間、無収入状態でなんとか乗り切ったところに新しい生活がありました

たかのめはその環境を維持しながら体力も維持して脊髄小脳変性症と付き合っていく生活をしています

2008/03/13/ (木) 環境・経緯

父から言われた言葉

私の父は48で他界しました

その父が自宅で療養している時にベッドの脇に呼ばれて言われた言葉

「この病気は遺伝するかもしれない」

当時の自分は20台前半で体には何の支障もない状況

現実味もなく自分は他人ごととして聞いていました

父が発症したのは36の時

自分もその年齢を超えるとき他人ごとではないと認識せざるをえませんでした

脊髄小脳変性症の患者の割合の中で約4割が血縁者にも同じ病例が見られるということでした

つまり遺伝性が認められるということです

自分は父からバトンを受けたようです

それはすべてが現実

悲観的になることもできますが

たかのめはそうは考えておりません

できることが少なくなっていくことは事実です

頭が年をとる前に体が早く年をとるという感じです

たかのめは考えました

病気と付き合っていくための環境の整備を

そのことはこちらの記事にてご紹介しております→脊髄小脳変性症と付き合う環境

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プロフィール

たかのめ(ハンドルネーム)
特定疾患医療受給者(重症扱い)
生息地 東北(宮城)
年齢 アラフォー世代
脊髄小脳変性症診断年齢 36歳
ブログ開設と診断月は同月(2008/3)
子供なし夫婦
母親・妹と愛猫2匹と同居中

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ブログステータス

ブログ開設日2008/3/13

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